清助のちょっと一言−活動日誌

【18.07.06】司法判決 この落差 大飯原発運転差し止め訴訟

7月4日、名古屋高裁金沢支部は東京電力の原発事故を教訓に運転差し止めを命じた2014年5月の一審判決(福井地裁)を覆す「不当判決」を言い渡した。その判決要旨を読むと驚く。
「原発の危険性は社会通念上無視しうる程度にまで管理・統制されている」「当否を巡る判断は、もはや司法の役割を超えている」
これでは、司法の意味がないではないか。

4年前の福井地裁の判決を読み返す。
「人格権ー生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である」
「被告は、本件原発の稼働が電力供給の安定性・コストの低減につながると主張するが、当裁判所は極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題などを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的に許されないと考えている。
コストの問題に関連して、国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の喪失と言うべきではなく、豊かな国土とそこに国民を根をおろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」

以上のように、福井地裁判決に対して、今回の名古屋高裁・金沢支部の判決の「主体性のない無責任判決」であると言わざるを得ない。

写真は、2014年福井地裁判決  

  写真は、2018年7月4日名古屋高裁・金沢支部判決

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